第1回 NEO公開研究会・記念シンポジウム

『新世代オフィスが目指すもの』

 

日時:2008年5月19日 15:30~17:00

場所:国際文化会館 岩崎小彌太記念ホール

司会進行:仲隆介

パネリスト:本江、紺野、小笠原、安藤、茅原、地主(敬称略)

 

仲隆介:NEOセンター長


■新世代オフィスが目指すもの

今日は、次世代オフィスが目指す方向を討論してみたい。暫定的で仮説的ではあるがインタラクションという視点でオフィスを見る<インタラクションパラダイム>を提案したい。新世代オフィスではこれまで以上に相互作用、つまりインタラクションが重要になってくる。人間と人間のインタラクション、人間と組織のインタラクション、人間とツールのインタラクション、人間と空間のインタラクション、もしくは、ツールと空間のインタラクション等々、インタラクションという視点で我々の課題を見つめ直してみると新しい何かが見えてくるのではないか?このあたりが、このシンポジウムのポイント。  

  



紺野登:多摩大学教授


■経営ビジネスの視点から考える

オフィスの在り方は大きく変わってきて、知識社会、知識創造の価値が高まっている。これまでのオフィスはハードに偏重していた。
まずは、オフィスの新しい意味を考えたい。オフィスの専門家ではないがここ数年見てきた世界のオフィスを紹介する。

米国:フランクに本音を言える。集まってはディスカッション。              欧州:対話を好む。概念倒れに終わることも                 日本:あまり個人の意見は言わず、グループで作業   

オフィスは地域や文化によって違う。共通なのは、座っている場よりも、それ以外の出会いの場・公共の場などにオフィスデザインの中核を持ってきていること。新しいプラットフォームをどうつくるか?というところが鍵になる。


■「場」をつくる
1903年にフランク・ロイド・ライトが今のオフィスの原型を作った。ライトのプラットフォームに変わるものをつくることが、NEOが目指すものである。そこでは、場をつくるということが重要なテーマとなる。

 

■日本企業における「場」
グローバルに顧客のデマンドを瞬時に掴む企業でなければ生きていけないが、日本はもたついている。
既に、マイクロソフトのビジネスモデルは古くなっている。サッカーボールのような組織、蹴ると迅速に対応する組織が望ましい。
ただ、ITを入れれば組織が活性化するかというとそうではなく、場をつくることが重要。場をつくってこそ、人と人との繋がりが出来、ITが有効に働く。
場をつくるための一つの有効な手段として、時代に合わせた新しいタイプのオフィスが求められる。

今の日本の組織はサッカーになっていない。そこで率先して場を作るという視点が大事になってくる。
今や企業のモデルが大きく変わり、分業してタスクをこなすことには価値が生まれにくい。

ワークプレイスはファシリティの問題ではなく、経営戦略や人事といったトップが考えるべき課題である。そのためには新しいデザイン言語が必要で、ライトとは異なるデザイン言語を作っていかなければならない。



安藤元太:経済産業省

「クリエイティブオフィス推進運動」の話をすることで、NEOの活動を相対的に見ることができる。違う立ち位置からの説明によって、NEOの理解を深めていただくことができるのではないか。


■クリエイティブオフィス推進運動の目標
20年ほど前のニューオフィス推進運動の時、効率をいかにして高めるかが主な目標であった。それに対し、広い意味の生産性をどういうふうに高めていくか、また、働き甲斐をどのように高めていくかに、問題がシフトしている。つまり、効率だけではなく創造性を考えることが重要。


■知識創造行動とオフィスの役割

知識創造が組織の中で行われるプロセスを、実際のオフィスワーカーの行動に置き換え、それを12の知識創造行動と捉えている。例えば、ふらふら歩く、普段直接接点の無い人と廊下で何気ない会話をする、といったところから暗黙知の交換が生まれる。それがディスカッションや形式的な会議といったようなものを通じ、組織の中で暗黙知が形式化する。それが組織の中でどのような効果を生み出しているのか。


ベースになるのは知識創造行動。それが組織の中のコミュニケーションを活性化し、モチベーションを高める。また、組織外とのコミュニケーション、あるいは、外の人をどのように巻き込むか、という領域にまで、オフィスが果たす役割は広がっている。


■経営者、ワーカーへのアンケートの結果
ワーカーへのアンケートを行ったところ、働き甲斐への関心が高いが、一方で自分の会社はオフィス改善に熱心であると思っている人は2割強に留まる。また、「オフィスの環境の改善にお金を使うのと、ボーナスを増やすのとではどちらがいいか?」という質問に対し、ボーナスと答える人が6割。つまり、ワーカーの中にはオフィスの現状に不満があり、会社の努力が必要だということも分かっているが、一種の諦めがある。他方、同じ場所で働くことが重要だと3分の2のワーカーが認識している。これは、IT化が進んだ現在でも、同じ場所で一緒に働くということを日本のワーカーが重視しているということであり、オフィスの重要性は過小評価されるべきでない。
また、知識創造活動を奨励している企業では、知識創造が行われる率が高く、経営者の満足度も高い。(下図参照)

このように、知識創造行動という切り口でオフィスを考えることは一定の有効性があるのではないかと考えている。


■クリエイティブ・オフィス推進運動とNEO
クリエイティブ・オフィス推進運動と比較して、NEOはより将来指向・未来指向である。
仲先生からインタラクションパラダイムという言葉が紹介されたが、クリエイティブ・オフィスではパラダイムチェンジといったことまでは意識していない。NEOにおいて、そういったパラダイムの変化を伴う大胆な視点で研究を進めていけば、政策提言などもまた変わってくるのではないかと思っている。



小笠原秦:NTTデータ経営研究所


私の専門はビジネス組織・社会文化論です。本日は、この観点から、働く環境が大きく変化しつつある現在の日本社会にあって、NEOの切り口は、米国追従ではなく、日本独自のものたりえるかをもう一度振り返って考えてみたいと思います。


■インタラクション=関係性

今回、キーワードとして掲げているインターラクションですが、インタラクション=コミュニケーションという理解は正しいでしょうか?いいえ、コミュニケーションの訳語は伝達ですが、インタラクションの訳語は相互作用であり、伝達ではありません。相互作用とは言い換えれば関係性のことです。


■アカデミックの世界でのインタラクションとは
社会学の世界では古くから使われてきた用語です。組織論の流れは大きく二つあり、組織そのものを箱としてみる立場のインスティテューショナリスト)、組織を人のネットワークで見る立場のインタラクショニストに分かれます。インスティテューショナリストは、組織の外部環境への適応を研究する、ちらかというとマクロ的なアプローチをします。一方、インスティテューショナリストは、個人や組織の関係=ネットワークを研究する、ミクロ的なアプローチをします。このネットワーク論は、社会関係資本という社会・組織価値の観点からの議論に発展する一方で、経営学の観点からは、知識経営のように、働く人々のインタラクションが価値を創造していくという点で関心を集めています。このように、インタラクションはアカデミックな世界でも重要な概念です。


■考え方の視座

コミュニケーションは伝達という機能ですが、相互作用は機能ではなく、プロセスと捉えるべきです。伝達は、キャッチボールのような反復ですが、相互作用は、投げて打って走るというようない一連の流れです。機能的とはアメフト的と言えます。それぞれのポジションの役割がはっきり定義されていて、機能がただしく機能するようにプレーを止めまて、修正します。つまり、機能を設計するということで、米国企業がめざしてきたものがこれです。オフィスで考えれば、コミュニケーションの機能配置を行うということです。一方、プロセス的とはサッカー的と言えます。試合が始まってしまえば、ポジションを固定せず、プレーを続けることが重要になります。つまり、プロセス遂行を重視するということで、日本の企業が得意とするところです。オフィスでいえば、インタラクション(関係性による相互作用)というプロセス遂行を円滑におこなえるような柔軟なプラットフォーム(場の形成)を提供できるかということです。


■「木を見る西洋人と森を見る東洋人」
高名なアメリカの社会心理学者が「西洋人は木しか見ないが、東洋人は木ではなく森をみる」とよう表現をしていますが、これは、関係性を重視するかしないかの問題です。日本人は、東洋人に中でも、一段と文脈に依存するので、関係性を重視することを得意としています。日本語は、「こんにゃくは太らない」でも意味が通じる高文脈の言語なのです。


■西洋人と東洋人の自己構造の違い
相互独立的自己構造を持つ西洋の人は自己中心で関係性のことはあまり重要視しないし、関係性をみんなで作るということは、自己の独立性を侵害しない限りにおいてなので、基本不得意です。逆に、相互協調的自己構造を持つ日本人は、一人称が複数あることや相手との関係で述語が選定されることを思えばわかるように、関係性を考えることが当たり前なのです。重要なのは、自己の独立性ではなく、協調的関係体のなかでの自分の位置なのです。

■一人称・二人称・三人称の関係
相互独立的自己構造を持つ欧米人では、一人称が独立し、二人称と三人称の距離が近い、つまり、私を中心に、私と私以外で世界が成り立っているわけです。一方、強度の相互協調的自己構造を有する日本人は、一人称と二人称の距離が近く、三人称が離れています。つまり、私とあなた(たち)で世界が成り立っているわけです。一般に、思いが共有化されたいいますが、これは、関係性優位のなかで形成された相互主体性(個別化できない私的間主観性)が一人称性(根源的自発性)を持つようになり、「場」が形成された状態を指しています。西洋の人は、この相互主体性が一人称性を持つことが理解できません。より正確には、許容することができないのです。
関係性構築と観点では、日本は非常に優位な立場にあるのですが、それを自覚できていません。関係性をコミュニケーションという機能としてではなく、インタラクションというプロセスの観点で捉え、再現性を問わないプロセス遂行という日本に独自な方法論として発展的な議論が今後展開できればよいのではないかと思います。



本江正茂:東北大学准教授


インタラクティビティとメタクリエイターは同じであるという話。


■インタラクティブとは
小笠原先生のお話にもあったとおり、インタラクティブというのは機能ではなくプロセスの問題である。プロセスにはインタラクティブなプロセスとそうでないプロセスがある。両者の違いをイメージするために、カレーと鍋を考えてみよう。
=インタラクティブ…空間の形式が料理の名前になっている。プロセス全体が相互作用的。
カレー=決まったプロセスで作る。インタラクティブではない。カ レーを作ると決めたら、カレーが出来る。


■リアルタイムのインタラクション
コンピュータの分野でリアルタイムのインタラクション・プロセスが登場したのは、冷戦下の空軍航空管制システムにおいてだった。当時はコンピュータの出力装置といえばラインプリンタで、演算の結果を知るには紙に出てくるを待たなければならなかった。そんな悠長なことでは敵国の攻撃にスクランブル対応できるはずがない。そこで、刻々と変化する状況をリアルタイムで表示できるようにブラウン管を用いたグラフィックディスプレイが開発され、リアルタイムでのインタラクティブ処理が可能となった。


■インタラクティブでないとならない理由

今まさに次々と生まれていく予測不可能な出来事に、しかし刻々と対応し続けていかなければならない。我々がそういった働き方をしなくてはならなくなったという問題意識がまずある。

前提が不安定で状態が刻々と変わる、そして多数多様な人がそれぞれの思いで関わっていく。そんなときには、カレーのように蓋をしてじっと煮えるのを待っているプロセスはふさわしくない。食べられる時にどんどん食べる、つくりながら食べる、鍋型の仕組みでオフィスを作らないといけない。
インタラクティビティの成立要件は、入力と出力が近いこと。見てその場で判断こと。リアルタイムに処理すること。そのためには、かけひきと合意形成、そして全員が全体像を把握していることが求められる。鍋奉行にまかせきりの鍋はインタラクティブとはいえない。

 

■関係性のデザイン
要素のデザイン=機能のデザインの充実は当然として、そのうえで、関係性のデザインをどうするかが重要になってきている。オフィスデザインも同じように関係性の問題を扱わざるを得ない。すでに材料となる要素は出ていて、それらをどのように関係付けて料理するかが課題だ。

インター/アクティブ、メタ/クリエイター、トランス/ネットワークなど、関係性を接頭語におくキーワードがが、今日のデザインの重要な課題になっている。
たとえば、都市計画においては、要素そのものの設計以上に、要素間の関係、すなわちそこに起き得る可能性のセッティングの設計が求められる。そこには、オフィスデザインの課題と通底するものがあるように思われる。



茅原拓朗:宮城大学准教授


知覚心理、認知心理の立場から、知性、認知活動が環境との相互作用で成り立っているということを簡単に定義したい。


■環境とのインタラクション
そもそも人間はインタラクティブな存在(生き物)である。外部のリソースを使わずに物事を考えることは可能か?というと無理である。そのことが環境とのインタラクションを示している。 コンピューターに人間が勝っているところはあるか?処理的側面からみるとほとんど負け。まず、のろい。50ヘルツくらいのスピードしか持ち合わせていない。 人の容量(記憶、処理)は小さく、同時に処理できるものも1つ。自分の気持ちを表している情報の手がかりも無い。他人の気持ちも自分の気持ちも、推し量る過程は同じ。
自分の意識状態をモニタリングするような周辺機器が知的作業をするためには必要である。 見るという行為もインタラクティブに成立しており、例えば、動き回ることで次元を減らし、やっと物の形状を認識できる。

 知覚循環モデル                           なぜ、凸凹に見えるのか?(左図)どのように人の顔を見ているのか?(右図)


■知覚循環モデル

我々が仮説的に持っているスキーマをベースに環境に働きかけ、その結果スキーマを更新するといった、円環的な捉え方をしないと認識は捉えられない。 いかにスキーマベースに物事を見ているか。



地主廣明:東京造形大学教授


NEOとはなにか?オフィスとはなにか?良いオフィスとは?という疑問になかなか答えられる人がいない。それはなぜかということを考えて話を進める。


■オフィスの起源
オフィスの語源は…仕事、奉仕などの行動を表すラテン語の「officium」と、使用人の支援空間を表すイタリア語の「uffizi」という2つの起源があり、二重の意味が含まれている。 また、ギリシア時代に遡ればモノをつくる行為は、時間や素材に束縛されているから嫌われていた。人類の崇高な目標は、一切の束縛から自由になることであった。
ここから、なにも縛られない=なにもつくらないことが最も崇高な人類の仕事であるという結論がでてくる。→アンチオフィスにつながる。

19世紀の米国のオフィスは、ボスとワーカーの関係を図式化し、組織化した。これもオフィスの原型である。
今では誰もがボスみたいな組織になってきた。どこでもいつでもだれとでも仕事ができるユビキタス社会になると特定の場所が必要ない。これもアンチオフィスにつながっていく。


■「0」としてのオフィス
これらを前提にすると、新世代のオフィスの目標は、行為から見ても環境から見ても、いずれもアンチオフィスに向かうという矛盾が出るが、そうではない。

問題は現在、オフィスを支える様々なパラダイムが変更されているのに、ステージであるオフィスが追随していないところにある。

日本の1870年代の区役所(上図参照)の図を見ると、ヒエラルキーが外在化し、下々の民がひれ伏して役人に懇願しているのが分かる。滑稽な図だが、今でも根本は変わっていないともいえる。オフィスとはヒエラルキーを作るステージでもあるからだ。このような組織のヒエラルキーを外在化しつつ、最新のインタラクティブ性が求められる業務の中に私たちがいるという矛盾、これこそが今のオフィスの最大の問題。NEOでは改めてこれをリセットする。いったんリセットし「0」にする必要がある。その時、どのようなカタチが求められているのか?これを示すことがNEOの目標でもある。




ディスカッション



■インタラクションパラダイムについて

仲:インタラクションパラダイムについて議論を始めたい。オフィスの捉え方が、変わろうとしている。なぜ今までと同じではいけないのか。また、どんなふうに変えたらいいのか。


紺野:地主先生の話でも出てきたが、座る場所個人席が中心だったのが、それ以外の空間に重点が置かれてきた。
(サムスンの例)SECIモデルを壁に張ったが何も起こらなかった。何が大事か?ソーシャルキャピタルが大事であり、表層だけでは意味がない。ソーシャルキャピタルを生むプラットホームとしてオフィスを構築することが必要。


仲:いわゆる表層的な形、空間的な視点だけではなく、いろいろな層があることを考えないといけない。


小笠原: 空間を作るだけでは、勿論だめ。仕事は相互信頼がベースだが、「組織」になると相互信頼がなくなっていく。互恵性、互収性も重要。相手にとって、自分にとって、貴重な情報のやりとりは場所があるだけでは成立しない。


■仕事と作業(カリカリ空間、ゴロゴロ空間)

仲:話を変えて、オフィスはなぜ生産性に関与しないのか?しないと思われているのか?


地主: クリエイティブオフィスと普通のオフィスはどこが違うか。例としてある小説家の話をしたい。その小説家は縁側でゴロゴロし、アイデアを思いついてから机に向かい小説(原稿)を書く。この机に向かっている時だけが仕事をしている時間ではないのに、家族は机に座っている時が仕事をしていると考えている。小説家の仕事とは知的創造業務であるのだから、原稿用紙に文字を書くことは作業でしかない。
本来創造業務のためのオフィスにはアイデアを思いつくためのゴロゴロ空間が求められるが、実際は作業のためのカリカリ空間をオフィスと思っている人が多い。
作業を極め合理化することがかつてのオフィスの生産性。考える、創造するは含まれていない。これはオフィスがカリカリ空間を意味し、ゴロゴロ空間は内在していないことの証。
カリカリ空間の例:椅子
椅子というのはそもそも特定のポーズを強制する装置。正しい姿勢、よいこの姿勢、社会的に働いているという姿勢。
ゴロゴロ空間の実例:「面白法人カヤック」
机と椅子もあるがメインはゴロゴロ空間。


問題はこういったエッセンスをいかに大きな組織の中で変換できるか。創造性をどれだけプログラムできるか。


仲:仕事と作業の対比でお話をいただいた。現実ゴロゴロ空間が必要なのにカリカリ空間を一所懸命いじっているという現実、矛盾がある。仕事、作業という辺りを経営という観点から考えるとどうか。


小笠原: 仕事には、価値を設定する行為と、実行し作業している行為がある。
経済環境がどんどん厳しくなって、若いひとの仕事環境が大変になっていることを経営者は理解していない。難易度、プレッシャーが高くなった。当然、オフィスにおける作業を高度化することも必要で、まだまだ出来る。多くの時間を作業にとられるので、それをサポートするオフィスは必要。
一方で、仕事は価値設定だから、ゴロゴロに目を向けることも必要。しかし、ゴロゴロは千差万別。ゴロゴロは個人差、不規則性が高いので、共通項が多いカリカリに目がいくのではないか?
さらに、人は仕事より作業しているほうが楽である。仕事から作業に流れないオフィスを考えるのもアリかもしれない。


本江:確かに作業のほうがラク。カリカリとゴロゴロの総合的な関係があるから成立する。カリカリとゴロゴロのバランスが重要である。


仲:ゴロゴロとカリカリは単純な分離では無い。仕事と作業、カリカリ、ゴロゴロという観点で何かあるか?


安藤:カリカリとゴロゴロを別に設えればよいというわけではない。
今は、再現性が低い仕事をこなさなければならない。
ゴロゴロとカリカリのいい組み合わせとは?。いろんなバリエーションを持たせること、幅を増やすということが必要ではないか。なにがいいバランスがといういのは研究する必要がある。


小笠原:おそらく再現性のないプロセスでは、働いている人の自由度をとらなくてはいけない。
仕事=問題解決と捉えたらオフィスはどうなるか?


本江:難しい。バリエーションを作って再現性を試すというが、そのバリエーションを作るのは誰かが問題である。学生と実験したことがあるが、結果が毎回違ってくる。人間は環境の差異よりも2回目ということのほうが影響大きい。現場にいる人が判断するようなことが必要ではないか。


小笠原:解決できるようなことが付与するメタクリエイターとはなんだろう?


■非決定論的組織のための場としてのオフィス

仲:生産性という呪縛から逃れられない。そこから逃れる、もしくはシフトするには?


紺野:鍋→非決定論的。カレー→決定論的。企業の世界では、環境分析をすると何だか良い戦略が見えてくるのが決定論的。非決定論的な世界は、何が起こるか分からない。インタラクションパラダイムの心は非決定論的世界。企業が非決定論的に活動するには、戦略を次々に決めて、機能別組織を実行するという発想を捨てるべき。

ワークプレイスの目的は、インタラクティブな非決定論的組織。そこに場の重要性がいえる。

 

「見える化」は管理の手法。良くないと思う。私は見える化反対派である。この見え方は良いね、と評価すると型にはまってしまう。でもみんなで見るようにするとか、見渡すとかは良いと思う。
生産性の話に戻ると、コストとかインプットの変数が変わってきた。ナラティビティ、ソーシャルデザインをしっかりやれば組織の調整コストの削減につながる。日本の会社で事業部で調整するコストはかなり大きい。マーケットに出遅れる。意思決定遅い、コストがかかる。
環境問題→ソーシャルコストが減る。
非決定論的にバリューが発生する。


仲:今後の方向を語っていただいた感じですね。まとめの意味で目指すものに関して一言。


本江:決定論的にはやれないと痛感。しかし、そのものは作れないがそこに至るまでは準備できる。関係性のデザインといった話をしたが、都市計画的な「可能性をデザインする」といった考え方と立ち位置は近いものがある。決定論的にはやれないけれども、あきらめずに議論していきたい。


紺野:決定論的は分析してから実行。非決定論的は、仮説→実行→修正。今までのオフィスは組織とか企業といった単位で考えていた。今、これだけITが使えるようになると、一人ひとりをベースにしたデザインが必要になる。それを集約すると全体としてどうなるか。一人ひとりにカスタマイズ、そこからスタートしたら全く違うインタラクティブなデザインになるかもしれない。個からスタートするのが大事。


小笠原:コーディネーションは官僚組織的で、誰も損をしない。コラボレーションは個人ベースのプラスαに。日本の組織はコミュニケーション的に課題構造を分解。問題現象を課題構造で分析。ネットワークを知らないとコラボできないのに、現在の日本ではネットワーク系が弱くなってきている。多面的ですみません。経営者が変わらないと実行できない。


安藤:最近異動になりオフィスが変わった。新しい部署とカヤックが似ていて、中央に集まる場所がある。変なオフィスが昔からあるということは、メリットがそこにあると考えられている。博報堂やカヤックのようなものと、比較して淘汰していきたい。


茅原:ヒエラルキーの外在化。内部では限られている。新しい働き方が必要、そしてそれを示すこと必要。じわじわ社会に浸透していく。外にあるオフィスがますます重要になると思う。


地主:NEOのモデルって何か。
建築をやっている人なら誰もが知っている「ツリーからセミラティスへ」という図がある。近代都市、近代建築を批判した時の図である。ツリー構造から、セミラティスになる。近代建築、近代都市は、ツリー的な構造で世界を図式化した。そうではなく、インタラクティブなバイパスを作るのが脱近代。
ここで、オフィスランドスケープの概念図式を見る。四角い部分がコマンドフロー、いわゆる組織の流れ。丸い部分がコミュニケーションの流れ。つまり、組織の流れとは別に現実のコミュニケーションの流れが存在し、オフィスプランニングはこれに基づいてやるべきという理論。これは、セミラティスの概念に外ならない。
脱近代建築の以前に内側のオフィスからポストモダンが始まっていた。オフィスの近代化(オフィスランドスケープ)は始めから脱近代的な思想があったが、現実のオフィスは脱近代化していない。組織そのものが脱近代化していないからだ。オフィスデザインは組織の外在化に外ならない。故に、明日のオフィスはまず、組織そのものをリデザインする必要がある。組織のそのものをリデザインするのもNEOの役割だ。


仲: ありがとうございました。明確な答えを示したわけではありませんが、ヒントとなるようなものが沢山有ったのではと思います。現状を見極めるための我々の解像度が少しづつ上がってきているということだと思います。




まとめ:山口重之


山口:おもしろいお話ありがとうございます。
本江先生の言葉を借りさせていただくと、NEOのなかでは「鍋」が始まったばかりです。
始まったばかりではあるが、よくここまで来たなという感じがします。
NEOを作ったベースは、経営の進化にどうやってついていくか。そして、本当かどうか確かめながら知識を集めて、集約して共有したらどうかというのがきっかけでした。
新世代・今までと違う時代とは何か。人口減少・エコなど時代が変わってきたことで、知識をどう活用するのか、どう攻めるのか。小笠原先生の話のようになんとなく日本人、なんとなくオフィスと捉えてきたのではないか。今になって、ようやく議論できるようになったのではないかと思っています。
一方で、老舗が多いことは日本の特徴であり、時代を経た経営は強いものであると感じています。そして、ビジネスにおいて忍耐が必要なことも認識しないといけない。変わらないものも求めていきたいと感じている。
どんな鍋にするかは、参加する人がインタラクティブに決めていくことです。
来年もより多くの方にご参加いただけることを望んでおります。